
会長の時間
今日は、ロータリーの5大奉仕の1つでもある、職業奉仕について話をしたいと思います。テーブルに配布している資料は、地区職業奉仕委員会が発刊している新聞で、今年度からガバナー月信に掲載されてるそうですので、皆さん気がけて読んで下さい。人それぞれの考え方があると思うので、今日は私の考える職業奉仕を話します。
まず職業奉仕という翻訳、解りにくいです。辞書にも載っていないロータリーの造語です。原語は【Vocational】(職業・天職)【Service】(奉仕)ですが、お金を稼ぐ行為と見返りを求めない行為、相反するエネルギーを持つ単語をつなぎ合わせているから理解しづらいです。ある時、ゴルフのプレー中に同伴者のロータリアンのSさんに、ロータリーの職業奉仕は良く解りませんと話をしたら、【僕が出版した本をあげるから読んでみて】と1冊の本を頂きました。そして、1冊の本を書くには、ロータリーに関する文献は約2万冊程あるが、200冊程度を読み込まなくては本は書けなくて、その内100冊は肯定的な本で、残りの100冊は否定的な本を読めば大体理解できるとの事。そして、自身の会社が2008年のリーマンショックの時に株で債務超過の状況に陥った時、ロータリーにおける職業奉仕の探求と実践により、2021年の信用調査会社の評価で長崎市内で1位になった事を話してくれました。
ハーバード・テーラーやシェルドンの事をゴルフのプレー中に話しだした時には、お互いスコアが崩れる傾向になります。(笑)
ここら辺の話はまたの機会にするとして、ざっと私的に、まとめますと職業奉仕以外の奉仕(クラブ奉仕、社会奉仕、国際奉仕、青少年奉仕)の受益者はロータリアン以外で、職業奉仕の受益者はロータリアン自身です。よく職業奉仕の例えで弁護士が無料で相談を請ける事とか、医師が海外で無料でワクチン接種を行う事とかを専門的なスキルを活かして社会に貢献する職業奉仕と言われていますが、私の解釈では、これらはあくまで社会奉仕であったり、国際奉仕であると思います。
頂いた本に書かれていた言葉を引用しますと、アーサー・シェルドンの名言《He Profits most who serves best》(最もよく奉仕する者、最も多く報いられる)は価値循環の原理であり報酬と貢献は矛盾しないというビジネス的合理性に立脚した思想です。シェルドンの思想は無償の奉仕精神ではなく、プロとして価値を出せば相手も社会も自分も豊かになるという極めて現代的で先進的な理念です。
自分の仕事を4つのテストに照らし合わせ、職業倫理を高める事によって、会社が成長し、豊かになって超我の奉仕《他者の為に尽くす事》が出来る人間になる事こそが、ロータリーの目的だと私は思っています。
目的は金銭ではなく、あくまで超我の奉仕であって金銭はそれを実現する為のものであり、その金銭はベストサービスを提供する事で得る。
かなり端折って話しましたが、実際2019年の職業分類制度廃止であったり《職業奉仕はクラブと会員双方の責務》との声明があったりして、無職でもロータリーに入会でき、ライオンズクラブと同じ《we serve》の考え方が導入されている今現在、職業奉仕に対する考え方が変わってきているのかもしれません。
昨日、たまたまロータリー源流の会のサイトを開いてみたら、佐賀南RCの吉岡元地区職業奉仕委員長が職業奉仕についてのセミナーをしていたので、動画を拝見しました。その中で、自身の薬剤師の仕事のスキルを生かして、発展途上の国に行って、恵まれない子供たちに公衆衛生における水質検査などを無償で実施する行為を、職業奉仕か青少年奉仕か国際奉仕なのかの回答が《奉仕に色はない》と彼らしい抽象的な答えでした。
皆さんは、職業奉仕をどう考えますか?
以上、会長の時間でした。



・交換留学生 ソフィア・バエス・バスケスさん
パスト会長たちの時間

28代会長(1998~1999年)池田 榮雄
私は、第28代の会長をおおせつかっております。そういう関係でトップバッターという事です。プロフィールを申します。
昭和11年4月26日に誕生致しました。遠い昔ですけど、皆さん2.26事件というのをご存知だと思いますが、2.26事件が昭和11年同じ年の2月26日に発生致しました。私も生まれる寸前で気にしておりました。そういう厳しい時代に誕生致しまして、現在がございますが、諫早市原口町で生まれて、本野小と本野中を卒業致しまして、高校は鎮西学院高校でお世話になりました。栗林先輩が2年先輩にいらっしゃいまして非常に怖い存在で……。松田会長のお父様が同期でございます。
そういう環境で育ちまして、昭和32年に長崎大学医学部に、かろうじて入りました。38年に卒業しましたので、留年もなかったと思います。
そして、インターンシップというのが昔からあります。インターンシップという言葉は、最近の言葉のようでございますけども、我々はインターンと称して、卒業してから1年間の研修が課せられてました。私はどこに行ったかと申しますと、日本は狭いので、北海道の札幌に行きました。1人ぼっちでは寂しいので親友4人で1年間、国立札幌病院で研修を致しました。
次の年、39年1年たった時に国の検定試験を受けます。これも、1回で合格しております。
あっちこっち、どの科に入りるか?非常に選択を迫られますけども、長崎大学5校の病院でございます。第一外科という部門がございまして、2つ第一第二、内科も第一第二第三まである、その第一外科の方に入局を許して頂きました。これは、勉強出来る出来ないじゃなくて、野球をやってるかやってないかで選ばれたようです。私は、大学の時にピッチャーをやっておりましたので、あっちこっちから引っ張られましたけども、第一外科が一番チームが強かったから入りました。
端島の炭鉱病院とか、今軍艦島と言いますが、五島の福江町の郡家病院とか、最後は五島中央病院の外科部長で終わって、1976年9月1日に諫早市山川町で外科医院を開業致しました。来年で50年になります。
諫早北クラブにお世話になったのが、1979年に入会してます。産婦人科の松角先生から、医師会で看護学校の仕事をお手伝いしてましたので、ある飲み会で「池田、あなたも少し社会性を養成しなさい」と、「どうしたら宜しいですか?」と聞いたら「ロータリーに入るんだよ」と、その一言で入りました。
その中で、第28代の会長に指名されました。今の松田会長が、55代でございますので、北クラブの歴史の中では、ちょうど真ん中くらいと思います。
1998年から1999年、21世紀の始まる寸前、20世紀の終わる頃、幹事をして頂いたのが、森信久さんで退会されましたが、小野の方で建築設計事務所を経営されてます。その会長の年のRIのテーマが「夢を追い続けよう」だったと思います。RI会長は、米国人でした。会員数が69名、途中で変わる事もございますので、その年度は68名から69名という事で、直前会長が瀬頭昭治先生、杵の川の社長でございます。私の直後の会長は杉原宏一先生でした。そういう経歴でございますけども、会員の半数以上の方は、私のプロフィールをご存知じゃないという気持ちで話をしましたけども、今後とも宜しくお願いします。

39代会長(2009~2010年)八江 利春
八江でございます。昭和15年1月11日生まれで、当年85歳でございます。私以上の方は栗林さん、池田先生ぐらいですかね。僕は3番目か4番目かそのくらいの年になっております。
長い間ずっと諫早に在住しておりますけど、皆さんに大変お世話になっております。
皆さんのお手元に配ってるのは、私はプロジェクターなど現代ツールは使うことが出来ませんので、皆さんに記憶を残して頂くのとそれをまた持ち帰って見て読み直してもらえればと思って、私の冊子をお配りしております。
この冊子は以前、旭日中綬章を頂いたときに作成した冊子で、いくらか余裕がありましたので、皆さんにお届けをさせて頂いておりますが、見られた方もおられるかと思いますけど、そういったものを中心にお話をさせて頂きます。
私は39代の会長をさせて頂いて、前任者が黒田商工会議所会頭でして、僕の後がまるたかの社長の高尾さんでした。
それからあっという間に時間が過ぎてしまいましたが、長い間ここに在籍させて頂いております。
JCは30~40歳まででしたので、10年間お世話になっておりました。JC卒業して2年目ぐらいに瀬頭さん達の勧めもありましてロータリーに加入しました。その当時は諫早ロータリークラブと北クラブとありまして、本明川から北の方が北クラブとなっておりまして、うちの農場は福田町にありますんで、ちょうど北にあるからいいじゃないかと言われて北クラブに入会しました。今は北クラブに在籍出来ていて大変光栄に思っておりますし、皆さんと一緒に行動出来ることは大変ありがたいなと思っております。
会社は八江農芸㈱で、職業分類は園芸技術ということで農業の方の集荷に移行しておりますけど、私は技術者ということではなくて営業担当をずっとしておりました。
平成3年7月に県議に当選させて頂いて2年前に辞めさせて頂きましたが32年間、議員をさせて頂いておりました。
その他のことに関しましては、そこの冊子に書いております。
普通は1回しか議長しないんですけど、欲張って2回ではなく、求められて2回議長をしたところでした。僕はだいたい短期間で1年間、トータルは2年間でしたけど、だから2回したということになります。それは長崎県の自民党の県議会の流れとすれば、県議会の自民党の幹事長をしなければ議長になれないというのが過去からずっと今もそうですけど、議長になったという方は幹事長をしとかないといけなかった。
今は46名いる県議の中で自民党の県議が約30名近くいます。山村議員も諫早の県議として入って頂いております。自民党はいろんな問題があっておりますが、我々は党のことを信じながら運営をすることによって地域に還元が出来る体制にあると思って、信じながらやっていることも事実であります。その代わり議員をしておりますと、選挙事ばかりで、何かあれば県議や市議がしないといけない。この間の7月の選挙でも古賀友一郎が地元出身であったから皆さんの力をお借りして動いた次第です。その前は市長選・知事選など、ずっと繰り返し繰り返しなことでありますから、大変皆様方にはご迷惑をおかけする点が多々ありますけど、その点はご了承頂きたいと思います。
先ほど申し上げたとおり私は営業の関係をしておりまして、県内は今でも至る所、離島等も含め区割りを終えておりまして、それが農協を中心にしておりましたけど、それ以上に議員を32年もしておれば、議会の関係者・組長さん達、そういう関連が常に人脈として出来ていることも事実ですし、またそれをフルに生かして地域にどういうことをすればいいか参考になりますから、いろんなことをさせて頂いております。
その冊子の中に書いてある中の一つとしてはですね諫早干拓が一番大事な時でした。中身は紹介しております。
西部台は私の発案も含めてですね、だいたい80ヘクタールを作って半分ぐらいしかできておりませんけど、あと残りが破籠井のところがこれからのところと思います。
少しスポーツ振興の関係から野球場も連盟の会長もしているもんですから、野球場も2つ作ることが出来ました。
そして冊子にも書いてありますように馬術連盟会長もやっておりまして、今は会長も募集しておりますので、手を挙げて頂ければ会長に推薦をいたしますので、お願いしたいと思います。
それからボートについてですが、今ようやく世間にも認識して頂いておりますけど、これは日本一・世界一のボート場を作るという懸案のことでありまして、今後がんばって頂かないといけませんし、これは山村議員が前面に出てご協力頂ければと思います。
あっという間に時間がきておりますけど、いずれにしても帰ってから冊子を見て頂ければ、地域のことを書いておりますので、皆さんの参考になればと思います。
これからも政治に出馬することはありませんけど、手伝いをしながら皆さんと一緒にがんばっていきたいと思いますので、ご協力・ご支援頂きますようお願いを申し上げまして、私の紹介とさせて頂きます。

53代会長(2023~2024年)宮田 茂樹
今日は私の事務所がある小野地区界隈の話をします。国道57号線沿いの島鉄森山駅から小野駅の間に行列の出来る店が3軒程あります。
1軒目は赤崎町にある「かの家うどん」です。11:00~15:00までの営業で毎日行列が出来ています。
2軒目は黒崎町の「うなぎの緒里」です。営業は同じく11:00~15:00までしか営業しておりません。常にいっぱいです!
3軒目は小野町、E.DW.(エスプレッソ ディーワークス)世界一やわらかい食パンの店、パンケーキの店です。開店からしばらくは行列が出来ていました。又もう少し先の八江先生のお膝元の長野町には、いきなりステーキ、KFC、讃岐うどんの丸亀、さらにマクドナルドもあり、この間まで田舎だった小野、長野地区がここ数年で都会に変身してきました。さらに“夢彩都”が完成したらどうなるのでしょうか。
先日私もあるお客様を連れてうなぎの緒里へ行きましたが、入店してから食べ終わるまでに1時間もかかりました。さすがに待ちくたびれたのですが、美味しかったので、ついでに少し鰻の話をして終わりたいと思います。
本来鰻の旬は秋から冬にかけて、特に1月が一番脂が乗り美味しい時期なのに……何故、夏に鰻を食べるのでしょうか? その歴史を調べてみますと、それは江戸時代に遡ります。その当時、鰻は冬の食べ物の為、夏には売れない食材でした。困った鰻屋が平賀源内という学者に相談したところ、店先に「土用丑ウシの日」は鰻を食べようと看板を出したそうです。するとその店は大繁盛したとの事です。その後鰻屋の間で評判になり、みんなが看板を出し全国に広がったようです。これが「土用丑ウシの日」は鰻を食べようとなったのです。そもそも土用丑ウシの日と鰻は何故結びついたのかというと、土用とは季節の変わり目の事で一番体調を崩し易い時期だそうです。その時に丑ウシの日に因んで「う」の付く食べ物を食べていたとの事、それが精力の付く鰻、疲労回復に効く梅干、瓜、うどんです。
ところで皆さん「白いダイヤ」という言葉を聞いた事があると思いますが、これは鰻の稚魚のシラス鰻の事です。……透明で全長5~6㎝で卵から育てる事が未だに困難であり生態不明です。しかし最近は卵から孵化する事に成功した例はありますが、今のところ天然シラス鰻しか鰻になりません。その数はきわめて少ない為「白いダイヤ」と呼ばれています。その稚魚は、マリアナ諸島付近で孵化した後、日本の沿岸にやって来ます。
正規のルートだと1㎏(約500匹)50万円、闇ルートだと100万円の値が付くそうです。特にその年の稚魚の量によっては数百万円の値が付く事もあると言い正規のルートより闇ルートの方が遥かに多くなってきて、中には年間数億円というシラス王まで現れるそうです。
しかし、白いダイヤの闇に光がさすのはまだまだ先の事ですし、鰻が私達の子供の時のように、いつでもどこでも一般庶民の食べ物として現れるのはもう無いのでしょうか
今日は本当に拙ツタナい話で面白くなかったと思いますが、これも私を指名した牟田委員長の任命責任だと思ってご理解下さい。ご清聴ありがとうございました。