2月15日例会


会長の時間

 2月10日(土)夜9:00から感動のスポーツ70年史という番組がありました。その中で1992年バルセロナオリンピック競泳女子平泳ぎで金メダルを取った14歳少女……岩崎恭子選手。小さい時からおてんばで1番にならないと気がすまないタイプでした。5歳から水泳を習い肺活量も多かったせいで水泳に力を入れたそうです。でも県大会では10番台が多かった様です。……やはり一流選手になる人は小さい時から違うみたいで……きびしい練習にも耐え泣きながら泳いでいたそうです。そして当時14歳で金メダルを取りました。……その時「今迄生きた中で一番幸福(しあわせ)です」と言った言葉が印象的でした。しかし、全国から注目されだした頃、知らない人からイヤな手紙が届いたり、通学時の写真が週刊誌に載って友達に迷惑をかけたりして「金メダルなんか取らなきゃ良かった」と思ったそうです。……強いストレスの為2年間不調でした。……高校1年生の時人目を気にせずにすむ、アメリカで練習して楽になり……人は人、自分は自分と割り切り自分を解ってくれる友がいれば良いと決心したそうです。……現在はスイミングアドバイザーとして各地の学校で「着衣泳」という服を着たまま水中で浮く指導をしています。……川や海に落ちても服を着たまま力を抜けば体は自然と浮くそうです。又、体は足から下がるので、足が浮けば呼吸を保てるとの事!……信じない人は一度川に落ちて試してみたらどうでしょうか?

 人は皆幸福になりたいと思っています。……しかしそれが叶う人はそれほど多くはありません。……何故か? それは他人と比較するからだそうです。……ただ幸福になりたいと望むなら簡単……しかし……他人よりも幸福になりたいと思うと難しい!我々は他人を実際以上に「幸福」だと思っているから!だそうです。岩崎さんが言った言葉に「自分を解ってくれる友がいれば良い」と言いました。我々ロータリアンも、親睦を通じて解ってくれる生涯の友を作りその輪を広げていきましょう……そしてもっとロータリーを楽しみましょう!

 

・ゲスト パサージュ琴海アイランドゴルフクラブ 支配人 坂田  修様


卓話

パサージュ琴海アイランドゴルフクラブ 支配人 坂田 修 様

 

 本日はお招きいただき大変ありがとうございます。パサージュ琴海アイランドゴルフクラブ支配人の坂田でございます。不慣れではありますがどうぞよろしくお願いいたします。

 最初にパサージュ琴海について簡単に紹介させていただきます。弊社パサージュ琴海は長崎市北部の旧琴海町にあり、1992年4月に開業いたしまして満32年を迎えております。1989年からゴルフ場の造成が始まり、ホテルの完成まで3年を要しました。開発当初は、海岸に近いため海岸沿いの樹林の保護や、濁水の流出防止に注力しながら施工したのを記憶しております。

 私のことでありますが、福岡の高校を卒業し東京の建設会社に入社したのですが、新人研修として6月に着任して伐採工事、防災工事、造成工事、排水工事等に携わり、工事が竣工して東京に戻るところを退職して、当時の運営会社であった琴海土地開発㈱に就職して、その後ゴルフ場のメンテナンスを約25年近く経験し、5年前からゴルフの支配人として現在に至っております。

 パサージュ琴海ではプロゴルフ大会を男女とも開催し、遠くは2000年の紀文クラシック(女子)に始まり、2010年に日本プロゴルフ選手権大会、2015年に女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯を、昨年は同大会2回目の開催となりました。

 コニカミノルタ杯についての話題になりますが、まずコースの設定状況を話していきたいと思います。前回大会2015年はコースディレクターを岡本綾子プロが担当されて、フェアウェイの幅を狭く、ラフを伸ばしてという設定によりコース管理もラフを伸ばすのに肥料を沢山行い、部分的には伸びすぎて芝が寝てしまうという伸ばした意味がなくなるくらいになったところもありました。皆さん気になられるところのグリーンのスピードや硬さは、スピードが11.5フィート、硬さが23とか設定基準を設けられていましたが、夏の終わり時期にこのような数字が出るわけでもなく、最終的には計測上10フィート弱、硬さが23にとどまりました。ただ、毎日グリーンの刈込を朝夕の2回、グリーンの転圧を朝1回とこのような作業を継続していると、グリーンも緑から赤っぽくなりはじめ、夕方散水作業をしておりました。数字で見るより現地の選手はスピードも硬さもそれ以上に感じられたのかなと思います。

 今回の大会では、コースディレクターが岡本プロから、山崎千佳代プロに代わり、フェアウェイは広く、ラフの芝は伸ばさずと前回とは逆な設定をされて、グリーンコンディションも現地で最大に適用できる数字でということにはなったのですが、やはりそこは大会になるとそうも言っておれず、ある程度のスピードと硬さをとどうしても話が出てきます。

 計測上の話ですが、スピードが最終日10と2/3フィート、硬さが21と前回大会よりスピードに関しては超えていたことになります。テレビやメディアでも話題になりましたが本年はどの地区でも夏の猛暑が問題になり、コースを維持するのも大変な上に大会開催となると、コース管理をするスタッフも気を抜くことがないよう努めていたところです。

 実際大会の週を迎えるまでは、グリーンの状態もさほど気にすることもなく、一部は病気等の発生でこれはまずいなぁというところはありましたが、心配するほどのこともない状態でした。大会週の練習ラウンド、プロアマ戦、そして予選を迎え作業を繰り返していくうちに、前回同様緑色から赤っぽい色に変わり、夕方散水してもどうにもならない状況になっていました。特に北風が強かった予選木曜日、金曜日にダメージを受けてしまいました。あの強風がなかったらまだグリーンの状態も違っていたのかもと思います。それは選手にも影響が出て、午前スタートと午後スタートのコンディションがどうしても違ってきて、午前組のスコアがよくなるのは当然でした。特に北風を受けるアウト・インともスタートからの3ホールはかなり難しくなったのではないでしょうか。海越えのショートホール3番ホールも、やはりショートする選手が多くなったと思います。

 ところで、この大会注目されたのが長崎出身の櫻井心那選手です。大会前から練習風景やインタビューとレギュラーツアーを戦いながらメディアの取材も多く受けられていました。注目度ナンバーワンの中での試合でかなり緊張もされたことでしょう。大勢のギャラリーを引き連れてのラウンドで、予選通過するかの瀬戸際のところで、無事予選通過し、決勝へと進み、長崎県内の多くのファンに見守られながらのプレーをされていたのではないでしょうか。

 彼女とは、長崎日大ゴルフ部の練習で月に数回パサージュ琴海で練習するときに会うことと、長崎県内のジュニアの大会で会うことくらいしかなかったのですが、プロテストに1回で合格し、その年のステップアップツアーで年間5勝の大活躍をされて、レギュラーツアーへの本格参戦となった2023年は年間4勝と昨年に引き続き大活躍をされています。ツアーの合間に長崎へ帰郷した時にはパサージュ琴海にも立ち寄り、練習をすることも何回もありました。このコニカミノルタ杯への思いは強く意識をしていた大会だと思います。

 さて、大会の部分へと戻りますがそんな中で優勝争いを展開したのが小祝さくらプロ、神谷そらプロでした。ドライバーの飛距離も300ヤード近くと飛ばし屋で、距離が長い設定となっている当パサージュ琴海でもアドバンテージを持ち、アイアンショットの切れと、硬くなったグリーンとそのスピードに対応していたと思います。最終日の16番ホールグリーン上での小祝さくらプロが打ったパターがカップをかすめ、大きくグリーンの傾斜に沿って外れていった後の返しのパットは素晴らしいものがありました。ここのホールのカップ位置を決めるにあたっては、当日の朝競技委員の方と30分近くこの場所でいいのか、反対側に決めなおすのか、それとも中央奥に決めなおすか何度も球を転がして検討したところでもあります。結果当初予定していた付近へとなったのですがグリーンが乾燥してきた昼には、スピードも増し想定したように球が止まらない状況になっておりました。それでもこのようなプロのパットが見れてよかったと思っています。

 大会はプロ2年目の神谷そらプロの12アンダーでの優勝で幕を閉じましたが、ギャラリーの皆様、テレビにて視聴された方ともども楽しまれたのではないかと思います。

 大会期間中にはホテルを併設しておりますので、30名近くのプロが宿泊をされました。それ以外のプロは長崎市内を中心に宿泊されたと思います。朝早くからクラブハウスオープンと同時に続々と選手も来場され、各々のスタート時間に合わせ練習場、練習グリーン等で準備を済ませ、スタートホールへと進んでおられました。

 選手は、スタート室に朝夕とも笑顔で挨拶してくる原英莉花さん、葭葉ルミさんなどとても素敵なプロばかりです。最近の女子プロゴルファーは、モデルさんのような選手も多くなり、人気が出ることも身近にみてすごくわかる気がします。また、プレーが終わった後もサイン会なども開き、広くファンへのサービスも忘れることもなくしていることから、ファンが多くなっていることにもつながっていると思います。

 大会終了後は、グリーンのダメージが大きく修復作業に追われています。前回大会と気温の差もありベント芝の回復がかなり遅れてしまっています。前回の経験値で回復が出来ると案じていたものが、なかなか芝生の回復に結びつかず苦労しているところであります。肥料など多く施工しているにも関わらず芝生への転換がうまく伝わらず現在に至っています。

 その間、トーナメント開催による県外客、長崎県内も含めて来場者が増加し、かなりご迷惑をかけてしまうことになり、大変申し訳なく思っております。温度が上がってくる2月後半から3月にかけて集中的に作業を進めていき回復をさせていくところであります。

 最後にパサージュ琴海の宣伝となりますが、昨年結婚式場をリニューアルし、エフフォーリアの名称で、海を前面に臨めるチャペルを営業開始しております。市内中心部とは違うロケーションを全面的に打ち出し、パサージュ琴海でしかできない結婚式のおもてなし、終演時の打ち上げ花火もあり、好評をいただいております。PR活動にも力を注いでいるところであります。