11月9日例会


会長の時間

 先週カブト蟹が出てきたところまで話していました。その食べ方は色々あると言いましたが……一番は頭の部分にある卵を食べるそうですが、中国人に言わせると「うまい」と言う人は聞いた事がないそうです。又、生臭いと言う人もいるとか!……私達の場合どうして食べたかというと蒸し焼きにして出てきました。初めて見ましたが、体全体が甲羅(コウラ)に覆われ食べる所がほとんどありません!

 腹の部分を少し食べましたが、……全く美味しくありませんでした。後から聞いた話ですが、カブト蟹を食べる国はタイと中国と一部東南アジアの人しか食べないそうです。……そもそもカブト蟹は何の仲間かと言えば、くもやサソリに近い生き物のようです。……カブト蟹の卵はOKですが本体には少し毒があるそうです。……興味がある人は、一度試してみたらいかがでしょうか?兜蟹の話はこれで終わりにします!

 いよいよ現地へ着き、山奥まで車で行くのですが……中国人は山奥まですぐですと言います。※そのすぐというのは早くて1時間です。……山に着くと、そこには日本の終戦直後のような生活をしている人が沢山おりました。

 ミカゲ石の山ですから岩ばかりで、それも尖ってあぶない所ばかりなのにゴム草履をはいて天秤棒をかついで石を運んでいるのです。着る物も昔のまま、食べる物もご飯に汁をかけた汁かけご飯です。……現地の人が食事を勧めるので食べてみました。その時は焼きソバみたいなもので、出来立てのソバを洗面器に入れ皆で食べる。これがまた美味しいのです!しかし本当に貧しい生活をしていましたが、感動した事があります!そこには非常に明るい笑顔があるのです!……そして私達にもとても親切でした。生活は貧しいけれど……心の貧しさは全く感じられません!

 貧しき中にも元気と笑顔があり、ストレスなんかみじんも感じさせない人ばかりでした。特に笑顔は周りを明るくする事を実感し私も元気と勇気をもらいました!私達ロータリアンも笑顔を忘れず、例会に於いては笑顔笑顔でお互い接しましょう。……きっと楽しくなる思います。

 


卓話「ロータリー半世紀を生きる」

会員 緒方 聖 君

Ⅰ 古里は地峡の町

  諫早幼稚園から諫早高校まで地元。幼少時から倉屋敷川の水洛、本明川に遊ぶ。

Ⅱ 帰郷、開業、ロータリークラブ入会

  S46.11.4 耳鼻咽喉科オープン

  S48.11.8 諫早北ロータリークラブへ

Ⅲ ロータリーライフ

  10代会長 栗林 英雄会長  幹事 緒方

  23代会長 緒方  聖    幹事 黒田 隆雄氏

  みさかえの園無料健診、障害児の詩集発刊

  週報の原画作成20年間

Ⅳ 躍進する北クラブ

  2004~2005 栗林英雄ガバナー  月信担当

  2014~2015 宮﨑清彰ガバナー    〃

  2019~2020 千葉憲哉ガバナー    〃

Ⅴ ロータリー在籍50年

  令和5年8月28日 88歳米寿を迎える。

  令和5年11月8日 在籍50年

Ⅵ 例会に詩情を添えながら

  「本明川、飛び石さんぽみち」

 

 長崎県の中央に位置する地峡の大地諫早は、演者の郷里であり、この地で開業して52年になる。そして仕事も最も忙しくなりつつあった48年に、諫早北RCに入会が許された。従って、今年は米寿を迎える喜ばしい年であると同時に、ロータリーに入会して50年の大きな節目の年でもある。更に、この半世紀の間、例会出席皆勤の大記録を作ったことにもなる。

 自分の年齢を考えると、公式の例会で卓話のため壇上に立つことも最後ではないかと、感慨も一入である。演者を温かく迎えて頂き、今日まで親しくお付き合い下さったロータリアンの皆様に御礼申し上げたい。

 この間、栗林会長の際、幹事役を任ぜられ、23代目の会長の折は商工会会頭の黒田隆雄氏に幹事の大役をお願いして、無事にその1年を乗り切った。

 「入りて学び、出でて奉仕せよ」例会に出席し奉仕に志す、異業種の友人との友情と親睦に育まれた他者への奉仕の心は、自然発芽してある時から、地域における他者への愛の行動となって現れた。その一つはみさかえの園障害児の無料健診、月に1回のボランティア活動の貴重な体験が、ロータリアンとしての慈愛の心が生まれていた。この時、ひとりの女の子が詩を書くことを知り、何とかしてこの地で生きた証を残してあげたいと、生涯でただ一冊の詩集発刊を手助けした。

 その他、週報のカットに使用する原画を、毎年作成し、その原画を額装して、その年の会長さんに記念として贈呈するささやかな奉仕を、20年間に亘り続けた。その当時の会長さんの身辺のどこかに飾られているだろう。

 又、当クラブ40周年の折、クラブ応援歌をつくりたいとの企画に歌詞を詩作し、今も毎月例会で斉唱しているのである。千葉ガバナー時代、記念事業として諫早市に寄贈した橋の案内板が設置され、この情景を「本明川、飛び石さんぽみち」として詠んだ一篇の詩が残されていることも、個人的な小さな奉仕として伝えられることだろう。

 わが北RCも次第に地区内で頭角を現し始め、栗林パストガバナー、宮﨑パストガバナー、千葉パストガバナーを輩出するという名実共に模範クラブとして実力を発揮することになった。

 ガバナー月信という地区内外のロータリーに関する情報を、当地区の会員に紹介する一つのメディアがあり、編集長の腕の見せ所でもある。幸いにも過去3名のガバナーよりご指命を受け喜んで事に臨んだ。

 この事については、当クラブの50周年記念誌に「ガバナー月信に光る郷土諫早の四季」という回想録に記している通りである。佐賀県との県境の山岳、多良嶽を水源に発して流れる本明川は流域に緑陰を生む森林と豊穣の穀倉地帯諫早平野を潤し、温暖な地域と平穏な風土は芸術文化に優れた人材を生み、その地下水脈が流れも尽きず続いている。

 この月信の表紙に用いられた36枚の絵や写真を集計する中で、演者が一つの推察を試みているので引用してみよう。

 古い歴史的な風格のある街では、古式ゆかしい建造物、城閣、神社仏閣などが歴史の証人として随所に見られ紹介されるのが常であろう。しかし、ここでは意外にも少なく、宗教的傾向があるもの、権威の象徴と見られるものを敢えて排したというより、大自然の雄大さや包容力に惹かれたからと思われる。そうは言っても、自然石を素材に造られた眼鏡橋が一番多く選ばれており、苔むした人造の橋はすでに自然の中で一体化して自然石の置物としてとらえられているからであろうか。残りは四季の彩りをそえる山林の風景、中でも本明川が一番多く取り上げられており、演者はいつしか自然礼賛に染められていたのである。

 この様な場所に永年生活してみると、その土地の風土、歴史的因習などの影響を受けて、のんびりした性格や闘争心の欠如、優柔不断な精神面にも表われ、諫早人の優しさや朴訥さは、そのような土地柄から生まれてくるのかも知れない。