8月24日例会


会長の時間

 今年の夏は色々なスポーツが目白押しでした。高校野球、世界水泳、世界陸上、ゴルフ全英女子。これらのスポーツは新聞、マスコミ等で毎日の様に報道されておりましたので今日は女子サッカーワールドカップについて話します!

 女子サッカーの歴史は140年に渡り、とてつもない差別と妨害を受け現在に至ったものだそうです。19世紀後半に初めてイギリスで女子サッカーが始まりました。その当時は、女子がサッカーをするとははしたないとか、悪趣味とか、医学的に体に悪いと言われていました。それでも女子選手達は辞めようとしなかったそうです。これを見たイングランドのサッカー協会が恐れをなし、男子サッカーの縄張りを守る為、女性に対しグラウンドの使用を禁止しました。しかし、女性達はあの手、この手でサッカーを続け、とうとう女性もサッカーが出来る事を認めさせたという事です。

 ※ 戦前のロータリークラブでも似た様な事があったようです。それは当時のロータリー時代、特別警察(軍閥)や憲兵隊によって、ロータリーが弾圧され、昭1940年和15年9月11日、日本のロータリーは解散させられました。それでも有志あるロータリアンは隠れて集会を重ね時期が来るまで頑張ったそうです。今あるのも、過去の苦難を乗り越えた先輩達のお陰ではないでしょうか!

 女子サッカーの人気は日本ではまだまだのようですが、今回のワールドカップで、日本はベスト8になり、賞金も1人当たり1,300万円、前回のワールドカップより3倍増となり……これからは飛行機の待遇もビジネスクラスでの移動となり、諸条件も男子並みに近づくと報道されていましたので、益々女子サッカーが人気になり、今の女子プロゴルフ界のような大ブームが訪れる事になるのではないでしょうか。

 


・ゲスト

 長崎親善人形の会(瓊子の会)キッズゲルニカプロジェクト 会長 山下 昭子様

・米山奨学生  ハ・ティ・ヒエンさん


卓話「長崎から世界へ平和発信」

長崎親善人形の会(瓊子の会) キッズゲルニカプロジェクト

会長 山下 昭子 様

「長崎親善人形の会(瓊子の会)」設立と活動について

 当会(会員98人)は1927年、米国の親日家、シドニー・L・ギューリック博士と実業家、渋沢栄一氏により行われた民間の国際文化交流の先駆けとされる「日米親善人形交流」。この精神を受け継ぎ、民間レベルで命の尊さを学び、国際親善、交流を通して世界平和の推進を図ろうと2003年「ミス長崎・長崎瓊子里帰り展」実行委員会の後継組織としてスタート。「人形交流は人間交流」の精神のもと子ども達と共に平和の大切さを多様な活動、交流を通して被爆地長崎から世界に発信してきました。

 今年「長崎親善人形の会(瓊子の会)」の「設立20周年」と「日米人形交流95周年」を記念して、「平和・未来への伝言~ナガサキから~」のシンポジュウムを2月11日、長崎原爆資料館ホールで開催。長崎平和特派員、日米人形交流の研究者・宮崎広和・米ノースウエスタン大学文化人類学教授が2016年に米国で発見された渋沢栄一らの当時(1920年代)の人形交流記録映像のダイジェスト版を発表。また県内に2体現存する青い目の人形、平戸市の「エレン・C」、島原市の「リトル・メリー」を展示、丸田幸子氏、北田貴子氏がそれぞれ活動報告。不穏な状況の中、人形交流の精神を大切に今後も被爆地長崎から世界に向けて平和の大切さを発信し続けようと参加者と共有しました。

 また、ゲルニカ・ルモ市がドイツ軍による世界初の無差別爆撃を受けて86年目となる4月26日の「ゲルニカ無差別爆撃の日」に合わせて、キッズゲルニカ・ウクライナの渡邊実・代表(静岡県在住)の呼びかけでスペイン・ゲルニカ、ウクライナ、広島、長崎の世界5都市をオンラインでつなぎ平和を訴えるイベント(長崎、平和公園)に参加。現地時間午前10時(長崎午後5時)、キッズゲルニカ2点を平和祈念像前に展示し、市立大浦小児童らでつくる長崎居留地キッズコーラスが「私のキーウ」をウクライナ語で歌い、共に平和を祈りました。

 5月、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)に合わせ広島市で開催の企画展に長崎からキッズゲルニカ作品を出品して欲しいとの呼びかけがありました。多忙な時期にもかかわらず、諫早市の長崎日大高・デザイン美術科に依頼、共同制作した「被爆地ナガサキ、私たちの長崎」を出品。G7広島サミットに合わせて16日から28日、ひろしま美術館壁面に展示、披露されました。

 この数年は新型コロナまん延により、「直接的共同作業」としての国際交流、活動は残念ながらかなわず、昨年2月24日、突如始まったウクライナへの軍事侵攻は今なお治まりそうもありません。そうした中、長崎出身の高校生・田中音色さん(17歳)が留学先のアイルランドの高校でウクライナやロシアの留学生らとキッズゲルニカ平和壁画に取り組み大きな希望となりました。今後も平和、友情の大切さを被爆地長崎から世界に発信する活動に一人でも多くの参加と交流を目指します。

 

★「平和の祈りキッズゲルニカ in ながさき」~国際子ども平和壁画展について~

 今夏、2023年は長崎に原爆が落とされてから78年目となりました。

 8月6日広島原爆の日、9日長崎原爆平和祈念式典に合わせて多様な国と長崎の子ども達が平和を願って描いた平和壁画を原爆落下中心地、下の川に展示します。“二度とあってはならないこの日”、ここ長崎を訪れる大勢の人達に子ども達は平和の祈りと願い、希望のメッセージを平和壁画に込めて世界に発信、同時にここで犠牲となられた多くの方々を悼み、追悼します。

 「ゲルニカ」は反戦壁画の代表作。スペイン市民戦争時ゲルニカの町を空から無差別に爆撃した事にスペインの画家、パブロ・ピカソが抗議し描いた絵が「ゲルニカ」(1937年)。「キッズゲルニカ」はこの絵と同じ大きさ(縦3.5×横7.8メートル)のキャンバスに世界各地の子ども達が、自分達の想像する平和の絵を描くというプロジェクト。国際的な活動として世界各地で展覧会が開かれています。

 長崎親善人形の会(瓊子の会)は、2007年から各地の子ども達と平和壁画制作に取り組んでおり、今夏、17年目を迎え、83点を制作しました。 「キッズゲルニカ」は長崎の爆心地公園を訪れる国内外の人達に、強烈なインスピレーションを与えています。ここ長崎から、戦争や原爆がどんなに恐ろしく、哀しいか、そして今なお争いの絶えないウクライナの問題が深刻化する中、日本そして世界の子ども達が仲良くつながり、平和の大切さを世界に訴える活動を共有していけるよう希望しています。

長崎日本大学高等学校

●「被爆地ナガサキ、私たちの長崎」(2023年制作)

 

 私達長崎日大デザイン美術科は、この機会に改めて「平和」について考え、「平和とは誰の制限も受けず自由に好きな表現が出来ること」という風に解釈しました。実は、ピカソがゲルニカを制作した時代は絵画表現に制限がかかっていて、表現したい絵を描けない状況でした。しかし、現在は制限がなく自由に絵を描くことが出来ます。私達は今、自由に表現ができるからこそ、身体全体を使って表現し、現在ピカソが生きていたらどんな絵を描くのだろうと考えながら、生き生きとしたゲルニカに仕上げました。