5月12日例会


会員卓話「読 後 感」

会員 栗林 英雄 君

 

 今日、情報の伝達はスマホ・SNS・YouTubeあるいはネット上であったり、読み物の中心はアニメであったり、こういう社会状況でございまして、日本人の読書離れが非常に顕著になっています。

 文科省は1991年に日本人の活字離れ・本離れということで白書を出しました。それから23年くらい経ちますが、なかなか読書離れという傾向が止まないということなんです。やはり私どもは、自分の為に本を読むという習慣は非常に大切なことです。

 本を読むメリットは何かといいますと、作文の力を養える、理解力・読解力、これが醸し出される。それともうひとつ、皆様が本を読みながらその背景というものを想像されるということですね。それぞれの異なった受け止め方をされると思いますが、その本から色々な感情や感動を頂いています。それが本を読まない習慣になると、人間の情感がだんだんと薄らいでいくという風に私は感じております。

 そしてまた、本を読むことによって色々な知識を得ることができる。例えば今の若い人向けの本にはあまりないんですけれど、四字熟語・熟語・諺、こういった表現が多々使われます。これを使うことによってお互いの会話というものが非常に豊かになる。しかもそれが本を読むことによって、自分の教養も高まります。

 本というものは、もともと人の心や生活を映し出す鏡のようなものであると、私はこのように考えております。本を読みながら、背景を自分に当てはめたり、諫早の言葉に合わせて読むとか、想像しながら読むと非常におもしろいという風に私は思います。

 私は県の教育委員、教育委員長をいたしておりました。その時に、読書会・朗読会というものをみんなに立ち上げてもらいたいとお願いして回った記憶があります。そこで今回は皆様方に、堅苦しいことでなく楽しんでもらおうということで、2つの物語を話していきたいと思います。今日は目ではなく耳で訴えていきます。私が朗読する文章を皆様方それぞれが想像していただきたいと思います。

 1999年、長崎新聞が『心にしみるいい話』という単行本を発行いたしました。その本の中身は、市民・県民から投稿されたものを掲載したものでございまして、その中から今日は2題、皆様方にご披露したいと思います。私は素人でございますから下手ですので、我慢して聞いていただきたいと思います。

(「朗読」略)

 現在、世相の中でまた差別が生まれてきております。有色人種、白色人種、あるいは宗教での差別、ヘイトの問題……非常に嘆かわしいものです。そこで差別の問題。日本にも江戸初期から差別がありました。皆様もお読みになったと思いますが、島崎藤村の『破戒』という小説で、これは部落民。昔は士農工商・貴族・士族・平民、昔でいう部落差別されるんです。

 その『破戒』の中で、部落の出身者が学校の先生として、絶対にこれを知られてはいけないということで一生懸命生きてきましたが、次第に自分の心が耐えられなくて、ついに自分は部落の人間であると告白するんです。これが非常に感動的、悲惨な物語なので、もしももう1回読む機会があったら、読んで頂ければ幸いです。

 何度も言いませんけれども、とにかく本を読んで頂きたい。

 例えば夏目漱石の『坊っちゃん』『吾輩は猫である』……こういう小説も面白いです。

 私は電車の中でよく本を読むんです。角川文庫、岩波文庫……電車の中で本を読んでいるのは私ひとりです。他はみんなスマホ。今はスマホ中心の社会になっている。恐らく皆さんも体験されたと思うんですけど、レストランで家族で食事に来ている風景、皆さんしばしば見受けられると思うんですが、せっかく食事に来ながら、楽しい家族の団欒の場であろうと思うんですけど、お父さんお母さんはスマホを触り喋りもしない。子ども達はゲームをやり、皆が異なった行動をしている。いったいそこに家族の絆があるのかな、と……。

 先ほど言ったように、若いお父さんお母さん、幼い子ども達に本を読んで、本の楽しさ、また本を読むことのありがたさということを子ども達にしっかり教えていってもらえればと思います。

 こういうことを是正する意味におきましても、私共自身が本に親しみ、本から自分自身の感動・感激を自分自身に享受して頂ければ幸いかなと思うわけです。

(略)

 本日は本当に、私の粗末な朗読を皆様にお聞き頂きましたことを、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。